耳を傾けて感じること。

3月30日(日)


雨、風がひどく店の軒下の鉢が倒れている。
難儀だが仕方がない。相手は自然だ。
自然に逆らってはいけない。
いけないのだがあのような震災を目の当たりにすると(映像でしか
見ていないが)災害から命を守るためのことはしなくてはいけないのかなぁー
と思ったりする。思ったりするが大したことはしていない。
しっかり教訓として受け止めなきゃいけないのに。

3月11日のフェイスブックにこんなことを書いた。


「3月11日。「なんの被害もなかった」僕らは幸せにも今日も仕事をしている。
家族を失くされた多くの人のことを想うと心が痛むが「当事者」ではない僕には
貧弱な想像の範囲でしか感じられない。なにもできやしないのだ。
悼むということだけ。それさえも・・・。
あと、単純に考えて、とにかく福島の原発が3年経ってもあの有様なのに
再稼働とか言ってほしくないです。
世界中おかしいのに普段と変わらず生活は続いていくんだね。」


夜のNHKのニュースの最後にちょっとだけ被災地の話題が流れた。
震災で一家五人を亡くされた男性と小学生のお子さん。
その子が、バッティングセンターがあればいいのにと言った一言から、
お父さんが本当にバッティングセンターをオープンさせた話だった。
もちろん初めに打席に入ったのはその子だ。
カキーン、カキーン。

僕は思う。
「いっかごにんをなくされた?????」

どういうことだろう。
それは一体どういうことなのか。
そんな人がどれだけいるのか。

キョーコさんを守らなくてはいけない。
もちろん子どもたちも。
きれいごとではなく、自分なんてどうなってもいいから
守りたい。

僕らはもう安全ではない。
ニュースを見ているとそう感じる。
恐ろしいことが起こるんじゃないかと怖くなる。

でも呑気な僕らはいつも通りの日々を過ごしている。
なったらなったで仕方ないという風に。

なんて無力なんだろう。


夜中に友人のNと話をする。
深刻な話を笑いながらした。
誰もが問題を抱えてつらい思いをしている。

できることは耳を傾けて感じることだけだ。



カキーン、カキーン。
いい音が響いていた。


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